16・クルージング旅行記~いざ沖縄!

みなさまこんにちは!

今日もブログをご覧いただきありがとうございます!

前の記事はこちらから読めます→アメリカンナイトに酔いしれた話

 

本編

本日もお目覚め良く。4日目スタート!

 

タロスケさんはおねむでゆっくり準備していたので、ひとりでサッサと用意を済ませ甲板でのんびり。

ここで平成最後のインスタ投稿をしたのです。頑張って描いた甲斐あってたくさんの反応がもらえてすごくうれしかった!

 

タロスケさんの準備が終わり甲板で合流、そのあとすぐに下船準備完了のアナウンスがあり、15分ほどで下船できた!

船着き場から歩いても行けたんだけど、暑かったし今日はたくさん歩くから体力を温存するためにタクシーを利用。大人になったもんだ…(そうか?)

 

愛想の欠片もないタクシーに乗ることわずか5分で県庁前駅に到着!!

わたしは宮古島は行ったことあるけど、本島ははじめて~!

 

今日の予定はざっくり

県庁前からゆいレールで首里駅へ

首里城

ゆいレールで牧志駅へ

やちむん通り

市場中央通り

国際通り

対馬丸記念館

帰船

 

こちらもフォロワーさま方のご意見をたくさん取り入れさせていただきプランニングしたコース!

みなさま本当にありがとうございましたm(;;)m

やっぱどんな情報誌より人の声が一番役立つありがたいものだなと感じました…

 

ゆいレールに乗って首里駅を目指す車窓から那覇の街並みを見ていて思ったことがひとつ。

木造建築が少なく、コンクリート製の家がほとんどだということ。

台風による被害を軽減させるためだろうと当たりをつけて検索してみると、正解っちゃ正解だったけどもうひとつ理由がありました。

それはみなさまご存知の第二次世界大戦で沖縄が戦場となり、壊滅的な被害を受けたことに起因します。

元々あったたくさんの木造住宅や山林が焼失してしまい、木造建築物の材料がなくなってしまったのです。

戦後まもなく沖縄はアメリカによって統治されましたが、その際アメリカが住む家を失った住民に与えたのが『規格家(きかくや)』。

工場で作った骨組みを運び、現場でテントをかけるだけの簡易住宅です。

沖縄に住んでいた方はしばらくこの規格家で暮らしていましたが、台風等自然災害の影響を受けやすい等デメリットが大きく、1958年ごろからアメリカ基地内の建築物を参考にコンクリート製の住宅が造られるようになり、そちらに移り住む方が増え、その歴史が今の沖縄の街並みに繋がっているそうです。

 

学校で戦争について散々勉強したはずなのに、沖縄にコンクリート製の建物が多い理由を戦争と結び付けて考えることができなかった。もっと深く勉強しないとダメだなあと痛感しました。

沖縄戦については後程また書きたいと思います!

 

ゆいレールに揺られて15分ほどで首里駅に到着。

 

首里城公園に到着しました~!

この門をくぐると・・・

 

派手派手なパワーみなぎる色彩!

地理的に近いからか、中国の建築物に似てる気がする。

 

この日は平成最後の日だったので日付入りの顔ハメして写真撮ってもらった。

タロスケさん苦笑い。こらいい記念になるわ。

日付は明日から「01年5月1日」になるのかな!?

 

首里城に向かって右手に資料館がありそちらに入ったのですが…

GWまっただ中だからか人がたっくさんいて、展示物がよく見えなかった…

ふとタロスケを振り返ると

なんと!!!!

例の「退屈になってくると唇がとんがってくるモード」に突入していた!

いつのまにそんなにとがっちゃってまあまあまあ!!!

 

というわけでまたもトンガリをおさめる対策を実行

すなわち

最後の手段にして最強の手段。

食べ物で釣る。

 

子どもか。

しかしわたしもこれで釣られる チョロQ夫婦と呼んでくれ

 

 

無事元気を取り戻したタロスケ。300円で元気を買ったわたし。平和。

 

首里城の展示全然見えなかったので帰ってから簡単にですが首里城の歴史をまとめました。

 

ちなみに首里城公園は結構広くて、階段や石畳の道も多いのでこれから行かれる方は歩きやすい靴で行くことをおすすめします!

(わたしもフォロワーさんにそう教えてもらってすごく助かりました)

 

長くなってきちゃったので、つづく。

 

あとがき

 

タロスケさんの元気を取り戻す対策まとめ

①ゲームで釣る

②次の行動を選択してもらう

③食べ物で釣る ←最強

 

テストに出ますので覚えておいてください。