気仙沼に行って考えたこと。

 

みなさま、ブログではお久しぶりです。

更新滞っておりすみません。

最近連載をはじめて(withonlineにて「鋼のメンタル!OL幸子」という創作漫画描いてます。読んでくれたらウレシイです→ここから読めるよ)その更新にいっぱいいっぱいになってしまってました…(^▽^)

そしてブログに関しては、「書くからにはブログ用のイラストも描きたい!」というこだわり?があり

そうするとイラスト描く時間がなかなか作れず更新できてませんでした・・・

しかし書きたいことはいろいろと溜まっている状態なので、こだわりをアッサリ捨て文と写真だけのブログにしたいと思います。(こだわりとは…

ありがたいことに「ももさんの絵だけでなく文も好き」と言ってくださる方も大勢(今まで、なんと2名もいらっしゃいました!!)いてくださるので、そのお言葉に甘えてしばらく文のみです。

ぼちぼち更新がんばります。ので、よかったら見てください。

 

※今回の記事には東日本大震災による被害を受けた気仙沼の写真を載せるので、

見たくないという方は閲覧をご遠慮ください。

 

気仙沼に行きました。

タイトルのとおりです。

先週末、夫とふたりで気仙沼へ訪れました。

東日本大震災からもうすぐ9年、行きたい行きたいと思ってずっと行けていなかった場所にやっと足を運ぶことができました。

 

気仙沼は、誰もがご存知かと思いますが2011年3月11日に起きた東日本大震災による大津波と大規模火災で大きな被害を受けた場所。

その震災の記憶が詰まった「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」を訪れました。

 

この施設は、宮城県気仙沼向洋高校の校舎として使われていた建物と一体化していて、

まず映像資料を見てから、元校舎を見学できる順路になっています。

 

この元校舎には、

気仙沼をおそった大津波の爪痕がそのまま残されています。

破壊されたドア、窓、机、椅子。

水浸しになった教科書、資料、ノート。

津波によって各所から流れ込んできた車や、泥や、どこかの家の家具。

全部そのままの形で残されています。

 

震災が起きるその日、その時まで、いつも通りの日常が送られていた学校。

それがこんな姿になってしまうなんて、一体だれが予想できたでしょう。

写真を載せます。

 

 

なにもかもめちゃくちゃです…

 

津波で流されてきた車。

壁や窓を破壊し、校舎の4階まで流れついたこの車。

信じられませんよね、4階ですよ。

津波の高さ、波の強さがいかに激しかったのか…

 

「凄惨」

この一言に尽きます。

 

映像資料では、震災によって被害を受けた何名かの方の過去と、現在の暮らしを知ることができました。

 

震災翌日の3月12日に卒業式が予定されており、震災が起きる直前まで卒業式の練習に励んでいた中学生。

その中で、当日、答辞を読むことになっていた男の子がいました。

階上中学校 当時三年生の 梶原裕太くん。

卒業式は、10日遅れの22日、避難所で執り行われました。

12日に読むはずだった答辞をすべて書き換えて、たくさんの悲しみを携えて立派に檀上で答辞を読み上げた梶原君の姿はほんとうに立派で、涙が止まりませんでした。

この答辞は文科省白書「東日本大震災への対応」に掲載されています。

色々なメディアで紹介されていたのでご存知の方も多いかと思いますが、ぜひ読んでください。

ここをタップすると読めます

 

奥様を亡くされた消防関係者の男性は

親族の無事が確認できない中で消防作業にあたっていた時の心境や、

奥様のご遺体と向き合ったときの悲しみ、やるせなさを語られていました。

折に触れては、奥様のご遺体が発見された場所へ足を運んでお花を贈られ、合掌されていたのですが

その土地も震災から数年が経ち、新しい建物を建てるための工事がはじまるため、立ち入れなくなってしまいました。

男性は、それならば今度は妻が行きたがっていた場所へ行こうと、奥様の遺影と一緒にハワイへ。

遺影に可愛いハワイのお花を添えての記念写真。

いつまでも奥様を想うご主人の優しさと、底知れぬ喪失感…。胸が詰まりました。

 

旦那様とお子さん(当時3歳の女の子)を亡くされた女性は

震災直後は悲しみとせつなさと寂しさで生きることをやめたくなった時もあったけど

当時0歳の息子をちゃんと大人にしなければ、となんとか必死に生き抜いた8年間だったと語られていました。

震災当日は、家族4人で車で避難している途中、津波におそわれ家族バラバラになり、息子さんと二人でなんとか命を取り留めた女性でしたが、数日後にご主人と娘さんの死を知らされたそうです。

わたしは子どもはいないので、自分の子どもを失うことがどんなにつらいことか想像もつきません。

そして、助け合い支え合ってきた、最愛の夫も同時にー。

 

こんな悲しい、さみしい思いをされた方がたくさん、本当にたくさんいらしたんだと思います。

それでも残された者は生きなければいけない。

その苦しみはわたしは推し量ることができません。

でも、震災のむごたらしさを知る、学ぶ、考える、行動することはできる。

 

震災の記憶を忘れない、伝えていく、というのが

震災によって犠牲になった方にできる弔いのひとつだと思っています。

 

気仙沼に行けてよかった。

 

わたしたちを迎えてくれた穏やかな海。きれいな海でした。

お魚市場では漁港ならではの新鮮な食材が所狭しと並べられていました。

海鮮丼。ひとつひとつのネタがぶ厚くて、美味しかった。

私たちにできること

 

震災に関する資料の末尾は、そのほとんどが

「私たちひとり一人が、自分に何ができるかを考えなければならない」

といった言葉で括られていると思います。

 

それは本当にそうで、

「考える」ことは、この震災でつらい思いをされたたくさんの方々の悲しみを「なかったことにしない」ことだと思うんです。

 

震災の悲惨な記憶から目をそむけず、ちゃんと知ること。

震災を知らない世代にもその記憶を繋いで、風化させないこと。

もし、自分が震災に遭ったらどうするか、あらゆるシミュレーションをすること。

防災グッズを揃えたり家族と落ち合う場所を決めるなど、防災を怠らないこと。

政治組織が震災復興支援にちゃんと予算を割いているか、支援に不足はないかに目を光らせ、選挙に行くこと。

 

特に最後の「選挙に行く」ことはとても大切だと思っています。

昨今、特に若者の投票率の低さが何かと話題になっていますが、

選挙に行くことは震災で大切なものを失った方への支援に繋がるんだという視点を忘れないでほしいです。

 

わたし自身もこの震災の記憶を胸にとどめ、決して忘れず、

今苦しんでいる人へ何ができるか考えつつ

未来に活かしていかなければと身を引き締めた週末でした。

 

最後に、気仙沼は魚が美味しく、景色も良く、風が気持ちいいとてもすてきな場所でした。

ぜひみなさまにも足を運んでもらえたらなーと、気仙沼にゆかりの無いわたしが言うのも

差し出がましいですが、そう思います。

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました!